大西流星くんのおかげで高校に合格した話

 

 

 

 

 

大西流星くんのおかげで高校に合格したお話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の住んでいる県での高校入試は3月のみの一発勝負でした。

 

 

私は中学3年生の冬の時点ではまだ大西流星くんに会ったことがありませんでした。大西流星くんがこの世にいるのかも定かならずに生きていました。

 

 

 

12月に最後の三者面談がありました。毎月模試を受けていて、結果も安全圏でした。でもその12月の三者面談で先生に合格することは難しいと言われました。私は素行があまりよくなく内申点は低めでした。確かに模試と言っても志望者全員が受けるのもではないし、安全圏と断言は出来ません。でもずっと前々から行きたい高校だったため志望校は変更せずに勉強を続けました。

 

 

 

当時は塾に通っていました。塾では勉強しましたが、家では全く勉強しませんでした。家では全くやる気が起きませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

一応関ジュの現場は毎回申し込みはしていました。でも当たらないのが当たり前でした。今まで当たったことはありませんでした。だから春松竹もいつものように適当に申し込んでいました。

 

 

 

そして春松竹の当落の日。この日に運命が大きく変わります…

 

 

 

 

春松竹当落の日。今回もどうせ当たらないのが当たり前だと思っていました。勉強する気もないので少クラを見てました。

 

 

いつもの癖でなんとなくメールアプリを開いたら1つだけキラキラしてるメールがありました。超動揺しました。恐る恐る開きました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おめでとうございます!

第1希望で当選です。

 


★*+.*.o*_o*.o*o_*+.★

 



 

 

 

 

エエエエエエッッッッッ!?

あ、当たった………????

 

 

 

 

 

 

 

信じられなくてめちゃくちゃ動揺しました。初めて当たったことに驚きと戸惑いでいっぱいでした。でも当たらないと思って申し込んでいるので親には言ってませんでした。『言ったら絶対怒られる…』と思い始めたら一気に不安な気持ちでいっぱいになりました。適当に申し込んだ日付は高校の合格発表の2日後でした。

 

 

 

でも恐る恐る親に当たったことを言いました。めちゃくちゃ怒られました。でも毎週毎週まいジャニで大西流星くんを見て悶えてる私を見て、見兼ねたのか『受かったら連れて行ってやるけど落ちたら無し。』と言われました。この日から私の壮絶な日々が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

春松竹のために頑張るぞーー‼️(๑>◡<๑)

ってテンションになると思ってたのにやる気はたいして変わらず、塾では勉強するけど家では一切しませんでした。やる気がないので勉強が頭に入ってる気がしませんでした。内心余裕で受かるでしょって思ってるアホな自分がいました。どうせ受かって大西流星くんに会えるだろって安易な考えをしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2月の中旬になって高校の倍率が出ました。その倍率は驚愕でした。なんと県内の公立高校で3番目くらいに高い倍率でした……志望校が同じ友達と泣きながら志望校を変えるか話し合いました…でも塾の先生の助言もあって結局志望校は変えませんでした。でもここから『やばい。私絶対落ちるな』って気持ちになりました。今まで一切なかった焦りがよくやく出始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな死ぬほど情緒不安定の中、春松竹のチケットが発送されました。心臓が破裂しそうでした。「もしチケットが3階だったら私の勉強モチベは一気になくなって落ちるのでは?」と思って毎日家の神棚に『高望みはしないので3階以外にしてください。お願いします神様!!!!!』と祈るようになりました。(数ヶ月後に3階でも全然近いことに気がつきます)

本来ならまず大西流星くんに会えるだけでサンバを踊り出すくらい嬉しいはずなのですが、この時の私は緊迫していて、メンタルがズタボロでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チケットを1人で開封するのが恐怖でしかなかったので、一緒に春松竹に入る約束をしていたフォロワーさんとテレビ通話で一緒に開ける約束をしました。

ですが、春松竹のチケットが届いた日、そのフォロワーさんはジャニストのライブに入る日でした。なのでライブが終わってその子が帰宅してから一緒にテレビ通話で開けることになりました。

 

 

 

 

私は、その日学校から16時に帰宅しました。チケットはすぐ受け取れました。でも結局通話を始めたのは22時でした。16時から22時まで封筒に入った春松竹のチケットを目の前に置き、死んだように無心でひたすらテレビを見てました。肺がちぎれそうでした。その6時間、恐すぎて恐すぎてたまりませんでした。恐すぎて頭が狂ってたので1人でクレヨンしんちゃん見てゲラゲラ笑ってました。神棚に何回もお願いしました。ひたすらその子からのLINEを待ちました。そして22時にその子からLINEが来て通話が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

チケットをノート3枚くらいで覆い、少しずつノートをずらして見ていくことにしました。私の手も声も震えすぎて人外でした。まずは番号。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

番号は1階だったら花道が真横の席でした。

でもどうせ3階だから!って言いながらつぎは列を見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1列目。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう2人でパニックでした。『いやいやいやいやもう絶対3階じゃん怖い怖い怖い』って叫びながらまたノートをズラしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1階。

 

 

 

 

 

 

泣き叫びました。全身の鳥肌が立ちました。

こんなことが本当にあるのだろうか。チケットを5度見しました。何度見ても1階1列目の花横の席でした。

 

 

 

 

 

 

その次の日から毎日死ぬほど勉強しました。家でもずっと勉強しました。勉強をしない理由なんてありませんでした。(そもそも最初からそんな理由はない)『落ちたら死ぬ』という気持ちで受験までの2週間を過ごしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受験当日も周りが情緒不安定でいる中、志望校の近くのマックで精神統一してました。

『いや私春松竹行くし〜〜〜〜!』ってバニラシェイク飲みながら、めちゃくちゃ強気だったため不安なんて1ミリもありませんでした。

 

 

 

 

 

 

2日間の受験が終わって自己採点をしました。なんといつもより50点も高い点数でした、、、信じられませんでした。大西流星くんという存在の大きさを改めて知りました。彼は凄い。

 

 

 

 

 

 

 

合格発表までの1週間も周りの子が不安でいる中、私はルンルンでファンレを書いていました。

 

そして無事志望校に合格しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めての松竹座。初めて大西流星。開演するまで生きてる心地がしませんでした。近い。とにかく近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時間はあっという間でした。衝撃すぎて記憶が飛んであまり思い出せませんでした。語り始めたら長くなるのでやめておきますが、本当に夢のような時間でした。ホテルに戻ってホテルのメモ帳を使って何枚も感想を書きました。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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一生大西流星くんを応援して行きたい

と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう2年前のことなのに今更書きました。

読んでいただきありがとうございました!🥰

限界夢女が大西流星くんに出会うまで

 

 

 

 

私は小学生の頃、重アニメオタクでした。

その頃の五大ブームは、黒子のバスケ進撃の巨人ハイキュー‼︎マギFree!

赤司征十郎及川徹ガチ恋を拗らせていて占ツク(死語)を3DSのブラウザで読んでいた限界夢女子でした。

 

この頃、ジャニーズには1ミリも興味がありませんでした。むしろ嫌悪しているくらいでした。

 

 

 

苦手な人先輩たちがみんなジャニオタだったということもあり、

 

『絶対ジャニーズなんて好きにならない』

 

と謎に心に誓っていました。

 

 

 

 

そもそも、ジャニーズ以前に3次元に全く興味がありませんでした。保育園児の時にヒコザル、小学校低学年の時には辺里唯世ガチ恋を拗らせていました。

 

 

 

 

でも、テレビドラマを見ることは好きで、毎週色々なドラマを見ていました。

小学6年生の夏に毎週『スターマン・この星の恋』を楽しみに見ていました。その頃は、福士蒼汰が大ブームで、友達もみんな福士蒼汰が好きでした。でも、私は福士蒼汰に興味はありませんでした。寧ろスターマンを毎週見ていて

 

『この長男めっちゃカッコよくない?何この子?すごい顔』

 

と思っていました。今、スターマンを見てもきっと『可愛いね〜〜♡♡』と思うだけなのでしょうが、やはり大西流星くんとは同い年なので、スターマン放送当時は

 

カッコいい!!!!!!!!!!

 

という感覚でした。顔がとにかく好みでした。

 

 

 

とりあえず、名前を検索しました。その当時、私はスマホを持っておらず3DSを駆使していたため、3DSのインターネット機能を使い検索しました。ですが、3DSのインターネット機能を使って調べたところで大した情報量にはなりませんでした。そもそも、私の家にはパソコンがありませんでした。そのため、YouTubeなどの動画も見ることが出来ませんでした。そのため、ジャニーズJr.の大西流星くんってことが分かったらそれで満足してしまい、それ以上は調べませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ですが、

 

 

 

その1年後の中学1年生の秋にまた大西流星くんを目にする日がやって来ました

 

 

 

 

 

 

私は中学生になっても相変わらず限界オタクでした。念願のスマホは買ってもらえましたが、永遠にアニメを見ていました。

 

 

でも、身の回りで一つ変わったことがありました。

 

 

中学校に入学してすぐに同じアニオタだった友達がHey!Say!JUMPにハマりました。互いに一生アニオタだと思っていたので衝撃でした。

 

 

ですが、友達が全力でJUMPをステマしてくるので、メンバーや曲を覚えて一緒にDVDを見るようになりました。(全国へJUMPツアー2013を永遠に見ていました)

 

特別、顔が好きなメンバーがいたとかではなく、なんとなく『カッコいいな〜』と軽い気持ちで見ていました。夏には山田涼介主演のテレビドラマ金田一少年の事件簿が放送され、ウィークエンダーが大流行し、必死にウィークエンダーのラップを覚えたりしていました。

 

 

そして、その友達はある日『最近ジャニーズJr.にハマってるんだよね』と言ってきました。 

私はそこで初めてジャニーズJr.という存在を知りました。ジャニーズもたいして分からないのにジャニーズJr.なんて分かるはずもありませんでした。平野紫耀が好きと言われましたが、「すげえ名前…しょう…」としか思わず深く話を聞いたりもしませんでした。

 

 

 

 

 

その頃、私はLINE民でした。(死語かも)今はtwitterやインスタでオタクと繋がりがちですが、当時はLINEでたくさんグループ作ってそこに参加して友達増やしていくってことがよくありました。私はとにかく友達を増やしたかったので、色んなグループに招待して貰っていました。私が入るグループは主に自分の好きなアニメの話をするグループや創作なりきりグループ(圧倒的黒歴史)でした。自分で名前とかキャラ設定考ていた大地獄

 

 

ですが、ある日”なにきん”という名前のグループに招待されました。その言葉の意味は分からなかったけれど、とりあえずそのグループに入りました。そして、そのグループのアイコンの画像を見て衝撃を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

この写真がグループのアイコンとして使用されていた画像です。

 

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『なんで坊主の人がいるの?????この人たちアイドルか何かだよね…?坊主??』

 

 

 

 

当時、西畑大吾くんは朝ドラの役作りのため坊主にしていました。

私の目は坊主の彼にしか行きませんでした。

 

 

恐らくアイドルグループなのに、坊主の人がいることが不思議で不思議で仕方ありませんでした。

 

 

この時、どうしてこんなに坊主を不思議に思ったのかはよく分かりません。

でも、この時の私のとった行動が正しかったことだけは分かります。

 

 

 

 

速攻調べました。

 

なにきんとは何なのか。

 

坊主の人は何故坊主なのか。

 

そして、関連に出てきたんです……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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え……………?

 

 

 

 

 

 

 

 

人生最大の衝撃を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本当にこの世のものなの?』『3次元にこんな人がいるなんて……2次元じゃないのこの子……?』『顔の作りどうなってんの?』

 

パニック状態でした。こんな感覚は初めてでした。顔がドストライクとか、そういうレベルでは語れない。今まで推しを初めて見た時にこんな感覚に陥ったことはありませんでした。

 

 

 

 

これからの人生で葉月渚を超えてくる推しはもういないと思ってた

 

Free!を超える感動と希望を与えてくれるものもないと思ってた

 

 

 

 

 

そんな中、出会った大西流星というまだ名前と顔しか知らない人物。

 

まだ何も分からないけれど、見た瞬間に『この子は私の推しだ。推すしかない。』と直感で思いました。

 

 

 

 

 

 

 

それからひたすら大西流星くんについて調べました。過去のまいジャニもたくさん見ました。

 

生まれて初めてMyojoを買いました。その頃は、自分がジャニーズを好きになったことに対して羞恥心があったため、Myojoを買うのすら緊張しました。

 

 

 

初めての三次元の推し。

 

初めてのジャニーズ。

 

 

何もかもが新鮮でとても楽しかったです。

その時はなんとなく『私は死ぬまで大西流星くんのファンなんだろうな』と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう何年も前のことだけれど入試休み暇すぎて勢いで書いちゃいました🥰また何か書き留めておきたいことがあったら書きます。読んで頂きありがとうございました!